お酒をのんだあとに、おそってくる孤独感

懇親会とかで、お酒をのみすぎたときの翌日は、悔恨の念がおしよせてくる。

「お酒なんか、のまなければよかった」

なにに対しての悔恨の念なのかというと、「しゃべりすぎた」ということに、つきる。「しゃべりすぎた」とおもうたびに、孤独感がつよまってきて、あせりにちかい不安が、身体のなかをかけめぐる。この感覚が、たいへん不快だ。

その場には、いろんなひとがいるのに、ほとんど主人公であるかのように錯覚し、悦にいったいきおいで、自分ばかりがしゃべりつづける。その場を撮影でもしてみれば、客観的には、大差はないのだろうけど、主観的には、ひとりで、その場の時間をうばいつづけていたような気がしてならない。

しらふのぼくは、目の前の人々と対話をかさねて、ふかく通じあいたいと、ねがっているのに、よっぱらってしまうと、「我が、我が」と、自分のペースで、すすめたくなってしまう。

お酒には、それをのむひとの「とざされた、こころの扉」をひらくちからがあるとおもうが、度がすぎると、ひらかれたこころの奥ふかくまで、すすんでいって、「精神世界に没入する」作用があるのかもしれない。

お酒を悪者にしたいわけではない。
自分のこころのよわさや未熟さをなげいているのだ。

お酒は、きっと孤独の代物なのだ。
「おとな」がたしなむものなのだ。