生活の、人生のゆたかさのこと。プロ奢ラレヤーさんの『嫌なこと、全部やめても生きられる』をよみながら、かんがえています。

人間には、ボーッとして、なにもかんがえずにいる時間が必要だ。

ひとりで、酒をのむ時間が、ぼくには必要なのだ。

たまにいく居酒屋で、ほんとうにひとりで、酒をのんでいる。まわりに、だれも客がいない。

きずしだけでは、ものたりなくて、牛肉のたたきを追加した。めずらしく、贅沢にやっている。
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生活のゆたかさをかんがえている。

ぼくにとっては、やっぱり、ながい時間をつかって、のんびりとお酒をのめるのは、ゆたかさのひとつだとおもう。今日は、贅沢をして、一人前700円もする、牛肉のたたきをたべているけど、いつもは、そんなものはいらない。やすい発泡酒でも十分だし、場所さえ、おちつければ、つまみはポテトフライでも、オッケーだ。

生活のゆたかさをおいもとめて、運動をしている。道具には、こだわらない。素振りだって、小学生のころにかった金属バットをつかっている。ちょっとグリップがほそくて、手がいたかったけど、新聞紙をまいて、ガムテープで固定することで、解決した。お金なんか、かけなくても、十分に、運動をたのしめる。そもそも、プロ野球で打率.300をうてるバッターになることなど、めざしていないわけで、これで運動をたのしめているのだから、ほんとうに十分なのだ。
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こうして、Facebookやブログに、適当にかいていたら、ほんとにたまに、だれかがリアクションをくれるし、それで十分たのしめる。今度、バッティングセンターに、いっしょにいきましょうと、さそわれたし。そのとき、打撃のコツをおしえてもらおうと、けっこうたのしみだ。

素朴な感想として、こういう感じで、ほそぼそとやっていることも、この人間社会にとって、必要なこと(仕事)だとおもうので、「人格のない歯車」として、むくわれないあつかわれかたをされて、消費されたあとは、すてられるような働き方は、しなくていいと、決意しはじめている。

ぼくがやっていること、やろうとしていることは、お金はうまないだろうが、人間にとっては、意味のあることだろうとおもっている。

よっぱらいはじめているから、脈絡がない。

べつに、金属バットでなくてもよいのだ。鉄の棒を素振りしていてもよい。素振りしているだけで、身体感覚のなにかが、つかめはじめている、たのしさをおぼえはじめているのだから。

嫌なこと、全部やめても生きられる

嫌なこと、全部やめても生きられる

  • 作者:プロ奢ラレヤー
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)