社会化したいあせりと反社会でいたい欲求

自己を社会化させたいというあせりがある一方で、反社会、反権威でありたいという性格がある。


石毛直道さんの『食事の文明論』では、性と食事のことは反社会であるとかかれている。わりと、食事と性には、ぼくは関心がつよいのは、つまり、そういうことで。


反社会について、いまのぼくの表現力では、一番手軽なのが、はたらくことをやめることなのだけど、そういうわけにはいかず。そもそも、その手段は、最善ではないし。


というわけで、反社会であるために、あそぶことを仕事として、成立させたいと、かんがえているところで、表現方法をもたないから、居酒屋で、よっぱらっていたのだ。


それも、いまや封じられているから、ぼくは、落合博満を模倣しながら、バットをふりつづけるしかない。これが、現在地である。