いままでの意識(自分をおしころすこと)では、まともに職場の仕事をすることができなくなってきた。

自分の心身の感覚をおしころして、息をひそめて、集団に参加するということが、できなくなってきた気がする。よいのか、わるいのか、わからないが、どうも自己が肥大化してきたような感じがあるかもしれない。

これまでは、いまの職場で、はたらくために、まったく自己をころしていた。自分の意思で、努力して、そうしないと、このままでは社会に参加できそうにないと、切羽つまっていたので、ひとつの訓練として、そうしていた。

ところが、いま、自己が肥大化してきて、それができなくなってきた。よくいえば、「どうにか、この社会で、生息していくことはできる」という自信が身についてきたといえる。わるくいえば、欲がでてきたような気がする。

とにかく、いま、けっこうこまっている。とても、まともに、はたらける状態ではない。いまの職場の所属部署で、ルーティン以上のことを、自分の仕事として、おこなうことができなくなっている。もう、なんだろう、がんばれない。

こまった。賃金をもらう場への積極的参加というのが、ぼくの社会参加のひとつの形なのだが、それをがんばれない、いまの心身の状態は、よくわからなくて、けっこう不安だ。

よくわからないから、脈略なく、たしかだといえることをひとつ。ぼくは心身の感覚がある職場で、はたらきたい。