人の話をきく仕事をやってみたい。人の話をきくには、情にほだされてはいけないのかもしれない。

ぼくは、どちらかというと、自分の話をきいてもらいたがりなのだけど、そんな人間だからこそなのか、他者の話をきくことができたときの感覚が不思議で、ちょっとすきになってきた。

相手のことを全然同情していないときに、かえって、そのひとの話をきくことができている気がする。

「ええ、ええ。はい。ほんとうに、ええ、そうですか。」などと、ひくいトーンの声であいづちをうち、ときに、ややあかるい調子で、わらったりしていると、相手は次第に、こちらが要求もしていないことをペラペラと、はなしはじめる。

ぼくの気分としては、さきにもかいたとおり、全然同情などしていないのに、相手からは、「ながながと、愚痴まじりに、お話をしてしまって、すみません。」などと、すこしばかり、感謝の気もちがふくまれるような調子の声で、いわれたり。

こういうことが、できているときの自分の感覚が、おもしろい。全然同情していない、つまり、相手のことを全然気にかけていないときに、相手の警戒心をとくことができているというのがおもしろい。

ちょっと、経験知をたかめるために、「話をきく」職業をしてみたいようにもおもうので、手はじめに、そういう系統の資格で、比較的簡単に取得できるものをとるための勉強をはじめてみようかしら。カウンセリング系で、何かライトなものってあるのだろうか。

現場で、ただ人の話をきいているだけで、感謝されるって、すごくたのしい気がする。毎日のことになると、とてもしんどいことになるのだろうけれど、心身の調子のよいときで、相手に情がうつるようなことがない状態であるなら、けっこうたのしくできそうな気がする。たまに、そういう仕事をするというのを自分のライフスタイルにくみこんでみたい。って、つまり、いまの職場の仕事やんとおもったが、話をききながら、学校のしいたレールに誘導せなあかんというところが、全然ちがうのだ。これは、ダメだ。