エロ文化を衰退させて、性のことが消費文化にのみこまれてしまうと、人間のゆたかさがうしなわれていく。性暴力はエロ文化の衰退によって、過激になるのだとおもう。

ずっとほしかったエロ本を手にいれた。


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インターネットで、根気よくさがしていたら、運よくヤフオクで出品されているのを発見した。発見した瞬間は、おもわず「やった」と声をだしてしまいそうになるほど、うれしかった。すぐさま入札し、無事、落札することができた。


このエロ本は、小学生のころに、はじめてみたものであり、また精通してからは、アダルトビデオをみはじめるまでのあいだ、ずっと利用していた、いわゆるオカズなのである。つまり、このエロ本は、ぼくという人間の歴史にとって、性のめざめをもたらしたものであり、異性の裸をはじめてみたという経験であり、そして、思春期の原体験であるという、記念碑的なものなのである。にもかかわらず、うっかりすててしまったのである。

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田村麻里江という女優。小学生のころ、とてもかわいらしくて、うつくしいと、あこがれていた。おとなになった、いまみても、その感想はかわることがなかった。つやっぽくて、色気のある女優である。
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吉野ゆうき。界隈では、伝説の女優であるらしい。こちらの女優の異様な色気に、小学生のころ、とりつかれたところがあった。彼女については、出演しているAVをおとなになってから、購入したほどである。このAVでは、性が消費されていないことが感じられるので、よい時代だったんだろうなとおもう。

えらいおおげさなことをいっているが、これはけっこうたいせつなことだとおもっている。だからこそ、ある種、ちまなこになって、いろんなキーワードを検索して、さがしあてたのである。インターネットが発達した、いまの時代にいきるわかものは、このような経験をすることができるのだろうか。おとなになってから、ちまなこになって、インターネットで検索し、オークションで落札までして、手にいれたくなるほどのエロとのかかわりあいができるのだろうか。


スマートフォンさえあれば、いつでも、どこでも、エロに接続することができる。しかし、スマホでかかわるエロは、単に消費されるだけのものになりさがっている。消費されるだけのエロには、異性の肌への神秘的なあこがれは、おこりようがない。それでは、おとなになったとき、記念碑的なものになる余地はないだろう。


スマホだけを断罪するようであるが、わるいのはスマホだけではない。いまは、エロ本そのものが、堕落している。いまのエロ本は、単なるAVのきりぬきであり、消費されるだけのものへと、みずからなりさがってしまっているのである。こんなものに、性をめざめさせるような、記念碑的な価値はない。


エロ表現を衰退させることは、よくない。エロが消費されるだけのものになりさがってしまうと、性暴力がおきてしまうと、ぼくはおもっている。消費文化というものは、基本的には、大量に生産し、つかいすてていく文化だからである。

ひとが癒えていくこと。そういうことにかかわる仕事。

去年1年かかわった学生に、リストカットだらけで、自殺をこころみたことがあるというひとがいた。そいつの顔は、やたらくらく、陰があり、しばらくいっしょにすごしているだけで、魔界にひきずりこまれそうなほどのネガティブなエネルギーがあった。ぎこちなく、ひきつりながら、わらった顔には、魔のちからがあるんじゃないかとおもうほどだった。


ひとりでは、到底たちうちできなかったので、ある程度関係をきずいてから、専門家(スクールカウンセラー)のところへ、つれていった。それからは、徐々に、専門家が中心にかかわっていくようにして、ぼくは、すこし距離をとるようにした。


先日、半年ぶりに、そいつとあった。専門家からは、まえもって、ずいぶんとよくなったときいていたが、ほんとうに、みちがえていた。うっかり他人かとおもうくらい、雰囲気があかるくなっていた。


魔の雰囲気は、表情から、きえていた。全然学校にこれなかったのに、その日は1時間まえから、悠長にマスクもせずに、やってきた。他人のそらにか?と、多少とまどっているぼくをみて、自分から、「おひさしぶりです」と、声をかけてきた。


そいつが、"ふつう"に、わらっている顔をみて、うれしさがこみあげてきて、感動した。それとともに、すこし、くやしかった。これほど、ひとをおどろかせるほど、人間がかわるすがたをみせつけられて、嫉妬したのである。


ぼくは、このような仕事をお金にしようとはおもっていない。しかし、この仕事を評価しない学校は、おわっているとおもっている。そういうところに、未来はないだろう。

たとえ荒唐無稽でも、ポジティブで、おおきな夢をえがく意識をつよくもつことで、ひとは飛躍できる。

意外と、あっさりと草野球デビューすることがきまった。最近、キャッチボールをやったり、たがいにバッティングピッチャーをやって打撃の練習をやったりしている友人が所属しているチームに、参加させてもらえることになったのである。野球をはじめて、6ヶ月、7ヶ月ほどで、声をかけてもらうことができた。草野球といえども、相手から声をかけてもらえたというのは、おおきな一歩である。


つくづく、「プロ野球選手をめざしている」などと、法螺をふきながら、まじめに努力してきて、よかったとおもう。すこしずつであるが、あゆみをとめることなく、着実に、なにかにちかづいていっていることを実感している。


自分で、自分に、限界という枠をはめてはいけない。これは、ある種、信仰にちかいくらい、つよくおもっていることである。人間は、気をぬくとすぐに、保守的になるものであるから、自他によって、いつのまにか、自分の意識は、かってに限界をきめる癖がついてしまう。それを阻止するために、たとえ荒唐無稽なことであろうが、おおきな自分をえがく意識をつねに、つよくもたなければならないのである。


ぼくの夢は、梅棹忠夫司馬遼太郎のような知の巨人とよばれるひとびとと、仕事をすることである。そうなるために、一番の道は、落合博満流で、野球の練習をつむことで、自分なりの論を確立することである。落合流は、とおまわりかもしれないが、いまもっとも注力できることであるから、躊躇せずに、とりくむことが、自分にとって、ただしい道なのだと、確信している。


この夢に、一歩でも、ちかづきたいという気もちが、最近、とてもつよくなってきた。べつに、むくわれなくてもよいが、なげやりになるような仕事には、時間をさきたくない。いまの仕事は、それ自体はおもしろいが、組織のありかたが、肌にあわないので、なげやりになりたい気もちが、でてくる。これがいやである。


心機一転、部署がかわったが、やっぱりどうにもむずかしいみたいだ。飛躍する準備をしたいのだが、ここでは、その準備ができない。この職場では、荒唐無稽な、おおきな自分をえがくことができない。これが、一番ダメだ。


なにか、あたらしいことにチャレンジしたい。

氷室京介展(グランフロント大阪会場)にいってきた感想。※ネタバレ注意※

氷室京介展に、9/12土曜日に、いってきた。
※この記事のいたるところに、ネタバレがありますので、展示展にまだ、いかれていないかたは、みないでください!!※


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27、28歳から56歳まで、ソロミュージシャン氷室京介のすがたをおっていくかたちの展示展だったのだけれど、年をおうごとに、次第に表情から、もろさがきえていったことが感じられたことが、いちばん印象的だった。せつなく、そして、さびしい、影のある表情のなかにあった、もろさがきえて、ちからづよい偉大な孤独とでもいうべき表情になっていっている。

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写真は、展示会場の最後のブース。氷室京介の未来が、ここにはあった。


この展示展は、還暦アニバーサリーのはじまりなんだって、しめくくりかたに、鳥肌がたった。

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氷室京介のいま、そして、未来につづくシンボルである。


おわりなのではなく、いまからはじまるんだって、最後のブースでしめされていた。ほんまに還暦オリジナルアルバムがでるっぽい。最後のライブのときにファンと約束したことを律儀にまもっていたのだ。ライブでの表現を想定しないことは、氷室京介にとって、あたらしいこころみになるから、どんなアルバムになるのか、たのしみすぎる。




たかが展示展だけれど、そうともいえないインパクトがあった。おおげさだが、このあとのぼくの人生に、なんらかの影響をあたえそうなほどの展示展だった。ここしばらく余韻がのこっている。


この日は、氷室京介展をぐるりと1時間半くらいかけて、ゆっくりまわった。そのあとから、氷室さんとすごくちかい距離に、ちかづくことができた感じが、ゆるやかに心身をつつみこんでいる。なにかにみたされた感覚がある。


氷室さんの人生のあゆみを追体験できるしくみに、展示は工夫されているのだろうとおもう。展示という方法の威力を体感している。



以下、こまかなことの印象記として。


氷室さんの字が、とてもととのっていることが印象的だった。きれいな字をかくんだなあ、って。BOOWYの「季節が君だけを変える」の手書きの歌詞には、おちついた雰囲気があった。いきおいで歌詞をかいていない感じがした。


KISS MEは、サビのところでkill meにするかどうかで推敲していたのが、氷室京介っぽいとおもった。それをやめたのが、30歳代の氷室京介らしさをあらわしているともおもった。


ステージ衣装が展示されていた。氷室京介がそれらをきていたのだとおもうと、急に氷室京介という存在が、ちかく感じた。実在する、というか、ふつうの人間なのだとおもえた。


1996年ころ、ライブ活動を3年以上はなれたときの葛藤や、2013年にあった実家への放火事件によってうけた精神的影響まで、アニバーサリーな展示展で言及されていた。このひらかれた精神に、氷室京介はあゆみをとめておらず、そして、たましいが、かれていないことを感じた。


氷室京介の歴史をある程度一覧してみて、アルバム『IDEA』が、やっぱりおおきな飛躍であると確信することができた。アルバムが完成したとき、「究極の氷室京介」と、みずからが形容した手ごたえは、20年ほどたっても、かわることがない真実だったのだ。


氷室さんのたましいは、かれはしないんだ。

KYOSUKE HIMURO since 1988

KYOSUKE HIMURO since 1988

三浦春馬とALS患者嘱託殺人の被害者。自死する自由があたえられていたひとと、あたえられていなかったひと。

ALS患者嘱託殺人事件の特集が、朝日新聞でくまれている。さきごろの嘱託殺人事件について、識者などの意見や朝日新聞をふくむメディアの編集のしかたをみていると、嘱託殺人という手段をとって自死した当人の不在のところで、議論がすすめられているような、気もちのわるさが、多少ある。


ぼくとしては、三浦春馬にはあたえられていた自死する自由が、ALS患者にはあたえられていないというところに、多少の不平等を感じる。難病であっても、いきいきといきていけて、自殺したいなんておもわない社会をめざすのは、ただしい道なんだろうとおもう。しかし、いまはまだその道中だ。混沌とした社会で、「いきろ」とだけ、理想論をぶつのは、なんかちがう。


自死する自由についての議論がないと片手落ちの気がするのだ。しんでしまいたいとおもいなやんでいる当事者の意見や気もちをもっとひろいおこして、社会的に議論をふかめていく方が、だれも自分から命をたつことのない社会への近道のようにおもうが。

自転車にのった少年と文化のはじまり

9月4日金曜日午後3時ころ、炎天下のなか、脇道で素振りをしていたところ、自転車にのった小学3年生くらいの少年が、その道をとおりぬけるため、ぼくの方へとむかってきた。ぼくは少年がとおりすぎるまで、素振りをやらないでおくために、少年のすがたを目でおった。そのとき、少年と目があった。不意なことだが、たがいに、かるい会釈のような、あるいは目くばせのようなしぐさをした。


少年は、ぼくのこと、つまり、素振りをする男性のことが気になったのか、このあと、二度、三度と、目のまえを自転車でとおりすぎた。三度目には、目のまえをよこぎる瞬間に、ぼくの方をみて、「がんばってください!」と、ややかぼそく、一声かけていった。ぼくはそのかけ声に応じて、「ありがとう!」とかえした。


一瞬のやりとりだったが、印象的なできごとだった。ぼくはこの経験から、文化のはじまりをみたような気がしている。また、少年にとっては、野球がある風景として、このまちが印象づけられたかもしれない。

実家暮らしでも、自立できる。一人暮らしをしたから、自立できるというわけではない。

実家ぐらしは、けっして親のすねかじりなどというネガティブなものではないとおもう。日本という風土の特性をかんがえると、しっかりと親との関係をつくって、実家ぐらしできるようになることにこそ、ただしく自立することができたといえるかたちがあるとおもう。



実家にいながら、半自活

仕事をおえてから、家にかえって、洗濯をする。夕食をたべたあとは、皿あらいをする。休日は、家の掃除をする。たまに、スーパーで食材をかって、夕食を自分でつくる。


これだけのことをやっておれば、すでに半分は自活していると、いえるのではないか。実家ずまいであろうが、ひとりぐらしであろうが、どっちでも、十分に、自分のちからで生活するという経験はつめることがわかってきた。


だいたい、ひとりぐらしというライフスタイルに対して、ぼくはそんなに関心がない。父親は、たいした人間ではなく、しゃべると9割が不愉快な人間なので、かれといっしょに生活することで、ストレスがたまるが、共同生活のおかげで、時間的にも、金銭的にもメリットがあるので、それもこみで、実家ぐらしは、積極的にアリだとおもっている。


また、実家ぐらしには、積極的にたのしいといえることもある。仕事をおえて、帰宅したあと、母親としゃべりながら、夕食をたべることは、たのしい。母親は、人間的におもしろいのである。これは、ひとりぐらしで、黙々とすごしているより、うんと、ゆたかな生活だろう。

地縁的なむすびつきと精神的な自立についておもうこと

人間の精神は、土地にむすびついているものではないし、同時に、土地におおきく影響をうけて、存在しているものだとおもう。人間の精神は、土地にむすびついているともいえるし、むすびついていないともいえる。つまり、そんなに簡単に、わりきれるものではないのである。


なにがいいたいかって、心身二元論はまちがっているということである。肉体と精神とが、別々に存在しているものだととらえていては、人間のことは、ほんとうにはわからない。


このようにかんがえるのは、実家にいながら、精神的にも、実際の生活としても、自立しはじめた経験にもとづいている。わざわざ家や土地とのつながりをたたなくても、人間は自立することができると、実感している。


ものの本によると、たとえばイギリスなどでは、高校生くらいから、子どもは親元をはなれて、寮生活をはじめる歴史があるという。これは自立のための訓練であるということだが、心身二元論の立場にたった発想であろう。ヨーロッパの人間にとっては、それが歴史的に、ちょうどよいということがわかった方法なのかもしれないが、日本では、あっていないだろうとおもう。


日本的風土で、うまれそだった人間は、土地とのつながりをたたなくても、自立できるのである。逆にいえば、土地とのつながりがなければ、自立できないともいえるのである。


ただでさえ、土地とのつながりが、希薄な現代社会なのに、無理やり努力して、ひとりぐらしなどをはじめて、自立した個人をもった人間がそだつわけはないだろうとおもう。


こころがやんだひとがおおいのは、このあたりに鍵があるとおもう。