目次
~はじめに~
ぼくは音楽をよくきく方ではあるけれど、音楽ずきかといわれると、ちょっとまよう。
楽器をあつかうこともできないし、音感みたいなことにはさっぱりわからないし、バンドのことも全然くわしくない。
ただ、自分にとっての、ここちよい音だけは、しっかりわかっているとおもう。
音楽についてのぼくはこのような感じなのだけど、性格がちょっと自信のないひとで、無理にまわりにあわせようとしてしまうタイプだ。
~hide以前~
ぼくは、みんなとおなじ居場所がほしくって、すきでもないものをすきといったり、自分のすきだという気もちに、わざわざ理由をつけたりしてしまって、素直な自分では、なかなかいられないような人間だ。
コブクロにハマっていた十代は、特にそうで、コブクロのファンには女性もおおくて、それが男の子らしくないとかおもって、あまりうまく素直にコブクロへの気もちを表現することができなかった。
そういうのをやめよう!自分らしさを素直にいきようとおもいはじめた二十代前後のころに、ちょうど氷室京介にハマったのは、ちょっと意義深い。
「自分の父親くらいのおっさんやけど氷室京介はかっこいい」と素直におもえたし、まわりの友だちに、「しぶいな」といわれても、堂々と「最先端や!」と抵抗できた。
だけど、やっぱり、まだまだ、「自分のすきという気もちを、ほかのなにかと比較してしまう自分」がいた。まだ、自分の自我は不安定だったのだろう。
ところで、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔は、音楽には、こういう比較したくなる心性が生じることを見ぬいている。そして、「音楽は宗教だ」といっている。まえから聡明なひとだとおもっていたけれど、やっぱり聡明なひとだ。
gendai.ismedia.jp
引用<よくツイッター上でもいろんなアーティスト同士のファンが喧嘩しているじゃないですか。僕はあれを戦争の縮図だと思ってるんです。信じる物をバカにされると不安になって怒る、そこで争いが始まるという。>
二十代前半は、ほんとうに、毎日、氷室京介をきいていた。氷室京介の過去をしらべ、音楽観や人生観を受容していった。
2016年、状況がかわる。氷室京介がライブ活動を引退(無期限休止)した。この年に、ぼくは就職した。氷室京介の引退とともに、就職したぼくは、なにか、おとなになるためのイニシエーションを経験したような気がした。
そして、氷室京介の最後のライブをさかいに、音楽をあまりきかなくなった。「おとなになると、音楽をきかなくなる」と、どこかできいたけれど、そういうものかなとおもっていた。
「もう、あたらしい音楽に、ときめくことはないのかな。さびしいな。」などとおもって、2年くらい、すごしていたけれど、突然、目のまえに、hideがあらわれた。
~hide以後~
2018年5月2日、突然、hideの音楽をすきになった。
hideの音楽をすきになった感じについては、まえにかいた。
hide-himuro.hateblo.jp
hideの音楽をすきになってから、ぼくは自分の自我が、いままでになく安定していくことを感じた。
好きなものを好きと言うために他をけなす必要はない。
hideのこのことばの意味を、全身で理解できた気がする。
ぼくはhideとであってから、自分を安定させるために、なにかを比較することのおろかさに気がついた。
自分の不安を解消し、自分の存在を感じるために、なにかを比較して、けなすという態度は、つまり、それ自体が自分の存在の不確かさのあらわれなのだ。
すきなものを、すきなひとを、その対象だけをとりあげて、率直に、すきだといえることが、自我の安定を意味しているし、自分の存在のたしかさの証なのだ。
~音楽は、すきだという自分の気もちを素直にうけいれて、たのしむもの。「BABYMETAL‘が`すきだ」~
これがわかってから、ぼくは、BABYMETALをすきだといえるようになった。
素直な気もちで、BABYMETALをすきになった。
・にわかファンなのに、BABYMETALのことを話していいだろうか?いっぱいしらべてから発言しよう。
・アイドルだけど、世界中の大御所ミュージシャンが評価しているから、すきだといっても、はずかしくない。
・コンテンツ産業について、BABYMETALは勉強になる。
・etc.
hide以前のぼくだったら、このような理由づけなどをしていたとおもう。
素直に、BABYMETALの音楽のよさをたのしめていなかったとおもう。
以上。