納得の構造

納得することって、つまり、「ことばをすてることなのではないか?」と、ふとおもった。ふとおもった瞬間、これはたしかなことだと、そんな気がしてきたので、あえて、ことばにしてみよう。

納得は、ことばによる理解ではうまれない。その理由として、「ことばは、十のことを十すべて、いいあらわすことができない」ということが、もっともおおきいことだとおもう。納得とは、十あることのすべてをわかって、はじめてえられるものだろう。

くりかえすが、ことばでは、十あることのすべてをいいあらわすことができない。だから、納得は、"あること"について、「ことばをすてたり、ことばがないところで、"わかった"」と体感するところに、うまれるといえるとおもうのだ。

ところで、「ことばをすてる」とか、「ことばがない」とか、それはどういうことかというと、それは文字どおりのことでもあるし、また、「ことばにしてはいるが、字面的には、その意味がよく理解しにくい」というほどのことでもある。「知性的にみると、明晰さにかけ、あいまいさを多分にのこしていることばであっても、それでよいとすること」とでもいうと、多少わかりやすいだろうか。

それでは、「ことばをすてることは、ゼロなので、なんにもわからないではないか?」といわれることが、かんがえられるが、これにはどうこたえればよいかわからない。たしかに、ことばをすてたところにあるのは、ゼロのような気もするが、納得はそんな分別くさいところから、えられるものではないとおもうのだ。

十あることについて、九.九九九…と極限まで、かんがえぬいたさきに、「もうダメだー!」と、ことばをすてたところに、「あっ」と、ひらめく納得があるのだ。納得の構造というには、まことにたよりないが、納得とはこのようにおきるような気がする。

以上、鈴木大拙『仏教の大意』(角川ソフィア文庫)p91~にかかれている、唐代の坊さん、賢首大師法蔵の金獅子のたとえをよみながら、おもいついたこと。

仏教の大意 (角川ソフィア文庫)

仏教の大意 (角川ソフィア文庫)

まち(街・町)とはなんだろう?~自分の物語をつむいで、ほりおこしてみる~

11月26日火曜日、うめきたTalkin'Aboutに参加してきた。19時~21時のあいだに、話題提供者の笹尾和宏さんと参加者数十名で、『施設がまちになるために必要なことは?』というテーマをほりさげた。笹尾さんは、『PUBLIC HACK 私的に自由にまちを使う』という本をかかれている。まだかっていないが、そのうち、よもうとおもう。

PUBLIC HACK: 私的に自由にまちを使う

PUBLIC HACK: 私的に自由にまちを使う

まず、はじめに、「なぜ、ぼくはこの日、『施設がまちになるために必要なことは?』というテーマをかたりあいにきたのか。」をはなさなければならなかった。当日は、参加する理由などかんがえていなかったので、無意識的に、おもいつきで、こたえた。あらためて、それをふりかえっておきたい。

ぼくには、むかしから、「自分は主体的に、街に参加している」と感じられることが、あまりなかった。少年のころは、ぼんやりとそうおもい、20歳前後のころから、具体的に、"街"をさがすようになった。そのひとつとして、たとえば、23歳~24歳のころに、みんぱく(国立民族学博物館)という施設に、あそびにいった。梅棹忠夫とであい、かれのファンになり、その思想のにおいを感じ、つながりをもとめたことが第一の欲求だが、梅棹いわく「みんぱくは、市民が研究のため利用する施設」であるので、「街に主体的に参加する」という主題も、ここにはしっかりあった。

いち市民として、みんぱくに参加したことは、「本をよみながら、実際に、なにかをやってみて、そして、かんがえる」という梅棹の根本の思想にふれた気にもなり、第一の欲求はみたされた。また、博物館という、情報の集積と発信の拠点は、街にとって、非常に重要であることもわかった。重要であることのひとつとして、たとえば、「博物館という、巨大な知の装置が、街にある」というだけで、市民の意識は、知的なほうへと啓蒙されるのである。余談になるが、この点で、坂の上の雲ミュージアムがある、愛媛県松山市はよかった。松山市をあるいていて、この街からは、どことなく、知的な肌触りが感じられたことをおぼえている。

話をもどす。みんぱくに参加することで、街を感じはしたが、しかし、なにか、ものたりなさがあった。

このころは、みんぱくにもよくいったが、それだけではなく、ひとりで京都の街を寺から寺へと、よくあるきまわったし、やすい立呑屋で串かつをたべながら、お酒をのんだりしていた。それで、2015年、25歳のときには、Walkin'Aboutという街あるきサロンがあることを、インターネットで偶然しることができて、それに参加するようになり、そこで、「街のみかた、あるきかた、たのしみかた」について、意識できる皮膚感覚のようなものとして、そういうものがあるということが、なんとなくわかりはじめた。

ながくなったが、なぜ、この日、このサロンに参加したのか。それは、上にかいたとおり、いまになって、ようやく、「自分が街に主体的に参加している」と、納得しはじめていることを感じているので、その納得を具体的にするためである。

ここまでかいてみて、この納得は、街をあるいてきたことだけによって、えられたものではないとわかってきた。23歳~29歳のあいだに、自分の状況は、いろいろかわった。はたらくようにもなったし、自分の内的なことを他者にさらすこともやるようになったし、そのほかにも、いろいろ変化がある。いま、主体的に街に参加しはじめているような納得が芽生えてきているのは、いろいろな行為が複雑に影響しあって、えられているものだとおもう。それらをいちいち分解して、分析することは、無用なことだとおもえるので、ここではしないでおこう。

この回のTalkin'Aboutで、ほりさげたことはまだまだあるので、また次回に、記録しようとおもう。

友だちづくりが下手くそ

十代のころ、とにかく、友だちづくりが下手だった。中学生のときは、小学生のころの友だち関係の貯金でやりくりできたが、高校生になって、あたらしい学校に進学すると、もはや関係構築のための技術も思考も精神も、なにもかも、うしなわれていた。大学生になってからは、意識的に友だちづくりをがんばったので、ちょっとは改善されたが、やっぱり違和感は多少あった。

当時のぼくは、どんなだっただろう。

大学1回生のときの英語の授業では、自分の座席配置が、日本語のできない留学生のグループのなかにあった。ぼくは、このことに不満をもち、苦痛を感じた。「これでは日本人の友だちがつくりにくいではないか」と。

いまなら、これは自分がアホやったとおもうが、当時の自分にとっては、切実な問題だったのだ。自分から、他者に声をかけて、はたらきかけることで、人間関係は構築されていくものだが、集団は自然発生するものだとおもっていたから、しかたがない。

とはいうものの、やっぱり集団の発生には、自然発生的な側面もあるとおもう。つまり、集団とは、「個々人の意識の壁」と「自然のながれ」によって、うまれるのだろうとおもう。意識の壁とは、人間それぞれがもつ対人関係における距離感のことである。また、自然のながれとは、人間が無意識的に、他者の意識の壁を感じとることだというと、ちかいかもしれない。

ところで、「日本人の」と限定しているという、もうひとつアホなところがあるが、友だちがひとりもいない人間が、母語で、自由にかたりあえるひとが、どうしてもほしいとおもうのは、ある種自然なこととおもえるし、大学生とはいえ十代の年若であり、それをいうのは酷かもしれないと、当時の自分をおおめにみてやろうとおもう。ひらきなおるわけではないが、この自文化中心主義をみとめるところから出発することが、民族学・人類学的には、重要なことだと、ぼくは我流でまなんできたのだ。

いきる目的。梅棹忠夫的なものをふやしていきたい。

十代までは、ぼくのまわりには、梅棹忠夫的な、といっても、そのころはまだ、梅棹にはであっていないので、どういえばいいか、民族学者的なものが、残念ながら、なかった。

二十代からは、それがある。自分で開拓した世界だ。日本には、まだ、梅棹忠夫的なにおいをかぐことができる場所が、たくさんある。

二十代のぼくの人生の仕事は、これをさがすことだったといえるかもしれない。

三十代の仕事がわからない。そもそも、司馬遼太郎的世界だけが人生のロールモデルだったので、30歳で死ぬ物語しか、えがいていなかった。未来のことはわからないので、来年死ぬかもしれないが、たぶん、あと何十年かは、いきているだろう。

三十代をどうするか。とりあえず、hideよりも、ながいきしようとおもったが、それでは34歳までしか、いきられない。

いきる目的など、ないのだとおもっているが、しかし、人間は、なにかしらの目的を設定しないと、いきにくい。

三十代からは、自分のまわりに、梅棹忠夫的なものをたくさんつくっていこうとおもう。それが、ぼくのいきやすさにつながると、ある種の信仰的な態度で、そうおもうのである。

梅棹忠夫的なものは、ぼくにとっては、とにかく、たのしいものなので、そういうものを自分のまわりに、ちいさく、つくっていこう。それが、ぼくの三十代だ。

二週間ぶりくらいだろうか、ひとり酒をやっている。よっぱらいながら、ことばにすることは、もうやめようとおもっていたが、ひさしぶりだし、たまにはいいだろう。

やさしいことばをつかった表現のたいせつさについて。西田幾多郎と鈴木大拙を比較して。

西田幾多郎がどんな仕事をやったのか、ぼくはほとんど、なんにもしらない。西田の文章を何度かよんでみたが、挫折してばかりだ。

そんなぼくであるが、西田の友人であった鈴木大拙は、何冊かよんでいて、非常にわかりやすく感じている。大拙のおかげで、仏教のこと、宗教のことをわかった気になっているほどだ。ここでの主題とは、関係のないことだが、ぼくは鈴木大拙のたすけをかりて、霊性的にものをみるというありかたを身につけつつあることを実感している。知性でもなく、感性でもなく、霊性的に、ものごとをとらえる。これがつまり、ひらめきや発想の根源だとおもう。

西田幾多郎のよみにくさと鈴木大拙のわかりやすさのちがいは、大拙の文章が西田のそれにくらべ、やわらかいことにあるとおもう。

大拙は、日本的仏教を世界にひろめるために、英語をつかって、よく文章をかいた。大拙が英文でかいたものをべつの訳者が日本語に翻訳したものもある。大拙は、日本的仏教のことをなんにもしらない、べつの世界のひとむけに、べつの言語で表現するという努力をしていた。つまり、なんにもわからないひとが、わかることができるような、やさしいことばで、言語化していたのだろう。それが、日本語にも、あらわれているのではないだろうか。ぼくは英語をよめないので、実際のところは、よくわからないし、西田幾多郎も英文で、なにかをかいていたかもしれないが。

ともかく、やさしいことばで表現することの意義は、梅棹忠夫がとくところであり、ぼくはそれをとてもたいせつなことだと、おもっている。そういう立場からみる、鈴木大拙のおもしろさのひとつは、仏教用語をほとんどしらなくても、仏教の大意について、よくわかるところだとおもう。これは、納得の構造が、著者だけのものになっていないとでも、いえばよいだろうか。

たんなる、このみの問題なのか、それとも、うえにかいたような、表現のやわらかさや納得の構造の問題があるのか。ぼくが、鈴木大拙の『日本的霊性』をよめて、西田幾多郎の『善の研究』をよめないわけが、すこし気になった。
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善の研究 (岩波文庫)

善の研究 (岩波文庫)

日本的霊性 (岩波文庫)

日本的霊性 (岩波文庫)

性欲と親鸞。

性欲って、つかみどころがないなあ。

そういうことをおもうことが、周期的にやつてくる。

性欲は、コントロールできない。性欲がたかまり、ムラムラしてきたとき、一時的には、自慰によって、はきだすことはできる。しかし、それは根本的な解決にならない。すぐにまた、性欲のちからが、よみがえってくる。

なんか、このような性欲がたかまる周期にはいると、心身のすべてが、性欲に支配されているような感じがする。なにをかんがえるにも、エロいことが、あたまの中心をしめる。妄想が、次第に肥大化し、現実と妄想のさかいがわからなくなるような、こわさにおそわれる。たとえば、痴漢をしたひとは、「相手の女性は、よろこんでいるとおもっていた」と供述することがあるようだが、そういう認知のゆがみは、性欲が心身を支配していることによって、ひきおこされているような気がする。

これは他人事とは、わりきれない。もしかしたら、自分だって、パートナーに対して、ほんとうは嫌だとおもっていることをよろこんでいるのだとおもいちがいをして、愛撫していることだって、ありえるのだ(※パートナーなんて、ながらくいない)。他者のこころのうちなんて、正確には、はかりしえないのだから、十分に、ありえるとおもう。

それで、ふとおもうのは、肉食妻帯をみとめた親鸞はやっぱりえらい、ということだ。親鸞のそれを「欲に対して理性であらがわない立場」と定義してみたい。

異常性欲だとか、いわれてしまえば、それまでだか、性欲がたかまったとき、理性でそれを制御しようと努力しているところに、ちょっとした快感の種がある気がする。「街ゆくひとを強引にでも…」みたいな欲求をおさえるところに、快感があるのではないか。そういう妄想と現実とのさかいに、快感の発生源があるのではないか。ほんとうに、それをしたところに快感はなくて。

「やってはいけない」と、理性で抑制するところから、すこし、逸脱するところに、快感のひとつの根がある気がする。

しかし、それは、やっぱり罪なことなのだ。その逸脱は、行為にむすびつくおそれが、たしかにある。それは、社会的に、ダメなことなのだ。

このような罪の危険から、解放されるには、肉食妻帯をみとめるしかないのかもしれないとおもう。つまり、「人間はどんな肉もくらうし、みさかいなく、ひとをおかすのだ」ということをみとめ、欲のいっさいを理性の制御から手放すのだ。

「人間は肉をくらうし、ひとをおかす」という立場にたてば、「やってはいけないと抑制する」というところからうまれる快感はない。この快感がないところに、性欲からの自由があるような気がする。性欲に支配されない、視界のひろがり。それは、人間が性的な存在であると、みとめることからはじまるような気がする。

親鸞がもった感覚とは、このようなものではないかと、夢想している。

歎異抄 (光文社古典新訳文庫)

歎異抄 (光文社古典新訳文庫)

仏教の大意 (角川ソフィア文庫)

仏教の大意 (角川ソフィア文庫)

後悔。そして、再生。

ほんとに、後悔する。
社会性がなかったものだから、ずっと、ひとの顔色ばかりうかがって、たのしくもなんともない、くだらないことばかりに、ちからをそそいでいたことをくやむ。

純粋な知的好奇心は、いつのまにか、どこにいったかわからなくなり、「社会に、うまく参加できないんじゃないか?」という不安をとりのぞくためだけに、知識をかきあつめはじめたことをくやむ。

それがあったから、いまがあるとはおもう。しかし、うしなってしまった時間は、おおきすぎる。

高校から大学卒業まで、すくなくとも、7年も、まったく自由につかうことができる時間があったのだ。ぼくは、その時間を、すべて「社会に、うまく参加できないんじゃないか?」という違和感がなんなのかをさぐりあて、解消するために、つかってしまった。

結局、社会に、うまくでることができず、つまずいてしまったし、わけもわからず、言語化しまくって、じたばたしまくる20歳代後半をすごしてしまった。

もっとまなびたいこと、かんがえたいことが、ほんとに、たくさんあるのに。どこにいったんだ、ぼくの純粋な知的好奇心は。余計なことばかり、あたまにうかんできて、知的好奇心はすぐに、どこかへいってしまう。

ここまでくると、もはや、どういういきかたを選択するか、ということになってくるのだろうとおもう。お金をもうける気も、たいそうな学位をとる気もない。ずっと、いち市民として、知的生産をたのしみながら、社会に参加していたい。それだけだ。

もう一度、なんにもしらなくて、なんにもかんがえないところから出発して、知的好奇心のおもむくままに、自由に発想して、おもいつきをはぐくんでいきたい。そうすることで、自分なりの、ゆたかな世界観なり、人生観なりをもって、人間のことの理解をふかめていきたい。

とにかく、もう、なんにもかんがえない。ひとの顔色なんか、うかがうものか。同調圧力は、そんなものは社会じゃなくて、エセ社会なんだから、無視だ、無視だ。ぼくは、もとから、ひろく社会とつながっている。ひろく社会とつながりつつ、自分なりのやりかたで、しっかりやっていって、なにがわるい。

いままで、足をひっぱられてきた、虚構の社会は、単なる自分のおもいこみ、いや、誇大妄想だったのだ。これ以上、なにをかんがえる必要があるのだ。なんとバカタレやったんや、ぼくは。

こういうのは、たぶん、これで最後や。社会性うんぬんをかんがえるために、なまの自分を表現するのは、つぎの周期がくるまで、おしまいや。なんにも、かんがえんでええことやったんや、はじめから。ようやく、スタート地点くらいに、もどってきたんとちゃうか。

以上、おやすみ。