いやし・治癒・変化

80点でいい。100点はいらない。20点だけ、あそびのあるゆたかさ

論じるより、たれながす方がおもしろい。性分にあっている。論じると100点をださないと、意味は通じない。たとえ1点でもおとすと、そこからほころびがでてきて、まちがって、つたわってしまう。しかし、たれながすのなら、80点くらいでも、なんとなく通じる…

新入りのhide色のボールペンくん

かきやすくて、重宝していた4色ボールペンがなくなった。重宝していたわりに、筆箱にしまわず、ポイっとなげすてたりしていたので、とうとう紛失してしまった。7年くらいつかっていたので、ちょっとショックだ。替芯もたくさんかって、ストックしていたの…

「食事―労働」系の社会参加のしかた

適当に事務をやっていればいいっていう仕事ではなくなってきて、けっこうきつい。なにがきついのか。なぜか、アイデンティティーがゆらいでいるような、危機を感じているのだ。おおげさだが、内的には、おおげさではない。「適当に事務をやっていれば、いい…

母と子のつながりをきった先にある関係

おもしろい変化がある。なんか母親のことが、すきになった。なんかすごくちかく感じるようになった。母親という人間のことをすきになった。どうもこれはマザコンなどといわれるような感じのものではない。母と子というつながりが、バッサリときれた感じがし…

すきなひとから、自分のことを理解する方法

自分がすきになったひとのことを、丁寧にことばにしたとき、自分のことがすこしわかるような気がする。そういう感じがあることについては、むかしから、ぼんやりとしっていた。ぼくは、「あのひとは、どうだ。」と、ことばにすることが、けっこうすきだ。し…

相手にあたえる印象と自分の本心とのギャップ

「ひとの群れにまぎれて、すごす」ということを訓練してきたことが、かえって、あだとなっているかもしれない。「あいさつはきちんとする」とか、「会話のときは適度に相づちをうつ」とか、そういうことを訓練してきたので、身にしみついている。また、他者…

そもそも不安定な人間なのだから、安定しようと努力するの、やめた、あきらめた。

もう安定しようとするの、やめた。よくよくかんがえたら、安定していたことなんて、ものごころがついたときから、ないやん。だいだい、いつも、こころのなかに、ことばを封じこめて、モヤモヤ、ムカムカしながら、だまりこんで、だましだまし、すごしてきた…

自分の人生、どうやって自分なりに、いきていくか。

「メンタルがよわい」などと、自分でいうひとや、なんらかの精神的な疾患について、自分で感じとっているひととのやりとりを継続している。 hide-himuro.hateblo.jp 彼らの世界に、はいりこみすぎて、こちらまで、変な感じに何週間もなってしまっていて、い…

一度たちどまって、0からやりなおそう。

やっぱりどうかんがえても、限界なので、我流でやるのをやめる。ひとりで、かんがえこまずに、たよることができるひと、協力してくれるひとに、たよって、やっていく。とりあえず、ゆるくエスノグラフィーをまなべるところをさがす。自分のことをかくという…

自分の心身のことを表現することで、心身を理解する感覚がとぎすまされる

調子のよかったすこしまえの心身の状態と比較すると、いま、けっこうしんどい。そういうことは、よくありえることなので、しんどいことには、あまりこまっていない。こまっているのは、「なんで、ちょっとまえは、調子がよかったのに、いま、からまわりして…

あきらめが肝心。すべてのことが心底どうでもよいとおもう立場。

phaさんみたいに、首尾一貫して、「ダルい」って、いえるひとには、あこがれるし、尊敬してしまう。人生にゆとりを生み出す 知の整理術作者: pha出版社/メーカー: 大和書房発売日: 2017/12/16メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (1件) を…

ひとの話をききつづけるむずかしさと家族の役目について

ひとの話をききつづけるのは、すごく精神力を必要とすることらしい。河合隼雄は、そういっている。もっともすばらしいカウンセラーは、ただじっと、相手の話をききつづける人間だという。どれだけ訓練をつんできたカウンセラーであっても、ただじっとして、…

したくないことは、しない。

「したくないことはしない」ということを、これは大事なことばだと、竹内敏晴はいう。「『したくないことはしない』という自覚」をもち、「『それは嫌だ』といいきるという行動形態によって、築かれてくる自我」を、「マイナス型の自我」と名づけている。そ…

依存関係が転じて、個性化へのきっかけとなる可能性

ほんとうの意味でのおとなにならなければ、人類学なんて、とてもできないだろう、とおもっている。人類学をやる、やらないにかかわらず、とにかく、ほんとうの意味でのおとなに、はやくなりたい。これは、いまにはじまったことではなくて、むかしから、そう…

メタ認知、桂正和と角田光代の作品との体験をとおして

角田光代のエッセイ『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』をよんでいる。適当に、ながしよみしているので、とやかく寸評などはしないけれど、ちょっとだけ、読書感想文をかこうとおもう。本書のあちこちに、ひょっこりと顔をだす著者の酒のみアピールが…

肉体的な体力がなくなってくるとイライラしたり、悲観的になってくる

体力がなくなってくると、イライラしてくる。なぜだろう。死にたくなくて、いきたいとおもっているからだろうか。どれだけつかれていても、自分で自分のからだにムチをうって、社会参加しなくてはいけない状態があって、それにすこしずつ、生命がむしばまれ…

夢日記2019/5/11 父親との口論

父親とめちゃくちゃ論争していた。ぼくは、喉から、おおきな声をだしすぎていて、声が明石家さんまみたいに、カスカスになっていた。このまま、声をはりあげていたら、喉がヒューッて音しかでなくなるようなこわさがあったけれど、激昂していたので、調節で…

自立すること。自由になること。

ほんとうの意味での自立とか、個人の確立とか、こういうものって、なかなかむずかしいことなのだなって、おもいました。とりあえず、毒家族の呪縛から解放されて、いまのところ、「家族といえども、他人なのだ」という、なにかをひっぺがしたような感じを自…

なやんでいる人の気もちと思考について。

何事かになやんでいて、うかない顔をしているひとに、「パーっといこう、パーっと」とやさしい声をかけてあげても、なやんでいる当人をかえる声にはならない。たとえ、その声が、当人がどれだけ信頼している人の声だとしても、なやんでいることから解放され…

荒木"REM"正彦のhideとの自伝の書評2。hideは、ぼくにとってのロールモデル。

『Pink cloudy sky―俺とhideの横須賀ロック・ストーリー!』(荒木"REM"正彦著)の書評のつづき。 Pink cloudy sky―俺とHideの横須賀ロック・ストーリー! (バウハウスムック) 作者: 荒木 REM 正彦 出版社/メーカー: メディア・クライス 発売日: 1999/12 メディ…

荒木"REM"正彦のhideとの自伝の書評。誰かのことをかたるときに注意すべきこと。

ひとがひとをかたるとき、「客観性をどうたもつか」という問題が、どうしてもでてくるようにおもう。気をぬくと、主観的になりすぎてしまい、「事実」としての彼(彼女)から、かけはなれてしまい、ともすれば、誹謗中傷になりかねないような人物像をえがいて…

ぼくの居場所について。

正直にいう。いまの職場は、ええひとがおおいから、やめられへん。ハッキリというが、組織のありかたとしては、まがりかどやとおもうし、ほとんど終わりにちかいくらい疲弊している。しかし、ほとんどのひとが、ええひとなのである。ほんまに、それがおもし…

とめられない怒りの衝動。わからない怒りの表現方法。

自分のこころをいじくりまわしていたら、えらいことになってきた。 きっかけは、鬱っぽさからはじまった。治癒したくって、こころに関する本をよみあさって、対処法をしらべたり、原因をさがして特定して、自らの意志で治癒のために行為した。 あれこれため…

不気味な、この高度化された文明社会

文明が高度化していくほど、不条理がふかくなるのだと、そう理解している。なんか、ぼくの感じている不条理は、カミュのそれより、ストライクゾーンがひろい気がする。意識と無意識を統合する訓練をしているなかで、最近、それが一段階すすんだと実感してい…

ねむることができない。

はりつめた緊張の糸を土日にはいり、一度きってしまうと、月曜日の朝をむかえるまで、はりなおすことができないので、こまる。月曜日から金曜日と土曜日から日曜日とで、まったく人間がことなるというのが、この困難の原因なのかもしれない。デスクのうえに…

虚言癖や誇大妄想がおきる構造~意識と無意識のはざまとか~

昨日、ふつうに、電車は終着駅までいっていました。 昨日11時頃に、ぼくが乗車していた電車は、たしかに「ある駅」で10分ほど停車していました。そのときぼくは、「地下鉄なのに、なぜこんなにながく、ひとつの駅にとまるのだろう」とおもいながら、ことばを…

泥酔と死生観。

泥酔すると、感情の制御ができない。がんばって理性をはたらかせるが、なにごとかが納得するまで、その感情の暴走は、とめることができない。わらいたくもなるし、なきたくもなるし、愛したくもなるし、破壊したくもなる。生理的な欲求に対して、どうしよう…

脱うつ病的傾向の方法としての「とにかく、やってみることのたいせつさ」の根拠について

「脱うつ病的傾向」というテーマで、記事をふたつかいた。 ここで、うつ病的"傾向"としているところについて、ことわっておきたい。 ぼくはうつ病のことはよくわからない。なぜなら、病院にはいっていなくて、自分がうつ病であると診断されていないからだ。…

無理をしない②週5日労働は、ぼくの身体はたえきれない(自己の心と身体をわけて定義する)

今日は、ちょっとからだをこわして、仕事をやすんだ。ふつうにめっちゃつかれていて、からだの気だるさもある。唐突に、自分の心身のことを定義しなおす方がよいかもしれないとおもった。このまま"ふつう"のひとたちと、おなじ活動量で、はたらいていくこと…

無理をしない。他人の期待にこたえようとしない。

無理をしない。できないことは、できないという。だれのためにいきているのか。自分のためにいきている。なによりたいせつなのは、自分の生だ。ぼくはなにも自己中心であることをいっていない。 「自分の生のなかで、だれかのために、いきていく。」というこ…